第4章大東亜の存亡

 ついにそのときがきたのである。昭和16年12月8日大日本帝国はアメリカ、イギリス、中国に対し宣戦布告をしたのである。映画などで紹介されるハワイ諸島、真珠湾への奇襲攻撃である。だが本当の宣戦布告は数時間前に行われていた。当時イギリスが植民地にしていたマレー半島へと上陸作戦を開始したのが本当の開戦なのである。大切なのは歴史は後で作られるということ。
帝国海軍としての攻撃は、真珠湾であったが、敵からすると衝撃的な方をクローズアップして世界に印象づけるためには被害が甚大なほうを選んだのであろう。このときまでにも昭和という時代に戦争回避の考えは沢山あったのだが、時代は戦争を選んだのである。常に人為的な働きだけではなく、時代そのものが選んだように感じられる。なぜなら、この戦争の首謀者は東京裁判で有罪となったA級戦犯ごときの為せる技ではないし、戦争に至る前の御前会議においても、決定できなかったことなのであるから。
 当時を振り返ると必ずいわれる、ABCD包囲網による物資の供給停止と貿易の制限、また、農業従事者の貧困問題や国内経済の不安定など一国の一政府だけでは、解決できない状況が次々と押し寄せてきた、諸外国は自分たちが確保した植民地から、食料及び工業用燃料(化石燃料)、重金属などありとあらゆる物を搾取し続けていた。それでいてアジアの小国の発展に畏怖の念すら感じていたのである。だからこそ講和など押し付けに決まっていることしか持たないし、対等な考えなど一寸たりとも持っていなかった。
 自滅するか、世界を相手に戦うかという問いかけに、国家の隆盛を求めた者たちでも考えたことであろう。
結局日本は現状打破のために蜂起したのである。昭和天皇は最後まで外交で解決できないかと御前会議で閣僚諸氏に問いかけたのであるが、結論は残っていなかった。その結果開戦の詔勅に至るのである。
 アメリカはその時を待っていた、軍需産業を中心とした重工業の発展のためには、戦争が必要であり、白人社会の敵として日本は最も適した戦争相手国であった。ヨーロッパではドイツとイタリアがすでに欧州全土と戦っていた。日本の参戦をもって第二次世界大戦と称するのである。この戦いはの結末は皆さんの知るところであるが、実に4年に及ぶ戦いなど誰も予想すらしていなかった。おそらく日本はすぐに降参するし、アメリカは何処かで講和条約を結ぶであろうと、でもその読みは、大和民族には通じなかった。個人の命をささげることを美しいと思う人間にとって国のため、家族のために、命を捧げることは最も美しい生き方であり何の恐れも感じないことであった。イタリアが負けたとき、ナチスドイツが消滅したとき、その両方を目の当りにしていながら、帝国は戦い続けたのである。この大戦によってアジアの小国、植民地とされた国々は独立解放へと突き進みその流れはアジアだけでは納まらずアフリカや南米にも及んだのである。
 植民地支配を受けてきた国からは帝国を支持する声も沢山あったが、戦勝国にはそれを許す寛大さは一滴たりとも無かった。 実際、東京裁判においてインドのパール判事は日本の無罪を主張したほどである。
 アメリカは日本に対し、やってはいけない実験を広島、長崎で行った、その結果は私たちが今も感じる深い悲しみとなっているのである。原子爆弾を投下された国は日本以外には無いのである。戦争を早期終結させるためには必要であるなどというものもあるが、絶対に間違った考えである。昭和18年にはソビエトを介して友好条約を成立させようとしたがアメリカ及びイギリスもオランダも中国からの撤退なくして和睦の道なしと、あからさまに否定した、また日本が中国からの撤退を決意しても講和の道を閉ざして、聞く耳なし状態を貫いた。結果最後まで叩かれ続けた日本の末路は周知のところである。この激動の昭和という時代は誰にも止められないそしてとまらない方向えと向ったに過ぎないのである。誰の責任でも無く、ただそこに参加したものは自分自身の責任を感じながら、暗闇に吸い込まれるようにつきすすんだのである。終戦の後の発展は各位の知るところであるからあえて説明はしないが、この数奇な運命をたどってきた日本という島国はこれからも存在を輝かせて未来に邁進してゆくのであろうと願いつつ昭和史の第一幕をお伝えいたしました。


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